カテゴリ:Books( 28 )

 

森見 登美彦「きつねのはなし」

最近は本屋でも平積みで、売れに売れているとか。森見登美彦氏。若手です。これまで若手といえば阿部和重くらいしか読んでいなかった(読めなかった)けど、森見氏は阿部氏よりもさらに若く、俺と同世代!同世代でこんなに才能ある人が現れるのは、本当に嬉しいものです。

b0131315_1402316.jpg


一番有名なのは「夜は短し歩けよ乙女」ですかね。まあ恋愛小説なんだけど、非常にエッジの立った登場人物の魅力と、現実とファンタジーを行ったり来たりする感覚(ガルシア・マルケス的な不可思議イベントが目白押し)、それに独特な表現・セリフがオモチロく、ぐいぐい読ませる。ポップな筆致ではあるのだが、文章のそこかしこに古典へのオマージュが見られる――ので、使っている語彙は結構難しかったりする。(実際、古典をリミックスした「新釈 走れメロス」なんて作品も出している。これも良い)。マンガみたいな展開、奇想天外なキャラクターのオンパレードでも、話がふわふわとしたファンタジーに飛んでしまわず、リアリズムを失わないのは、こういう古典文学を換骨奪胎している書き方と、京都という実在の場所を舞台にしている(かなり具体的な情景描写がされる)のが利いているのかもしれない。

純文学ってのは、死とか絶望をテーマにして強面に書かねばらなん、というありがちな縛りから気持ちよく解放させてくれる。もうイヤになるくらい深刻な小説とか多いんだけど(そしてキライじゃないけど)、読んでいて腹の底が明るくなるような小説だって同じくらい重要だ。ソーダ水の泡のように楽しく弾ける言葉を味わえばいいのです。

b0131315_144987.jpg


というような「夜は短し歩けよ乙女」に対して、本作「きつねのはなし」は一転、ダークで、じっとりうなじに汗をかくようなジャパニーズ・ホラーです。「夜は~」のようなオチャラけた感じはゼロ、文章の書き方も完全にギヤ・チェンジしている(ので、「夜は~」みたいなのを期待している人は要注意)。

感想としては、趣味も入るけど俺はかなり好きだな。「夜は~」よりも好きかもしれない。表題作含めて4編が収録されていて、どれも舞台はまた京都。俺的には「きつねのはなし」と「水神」、この2つが出色だった。魔物の存在を背後にうかがわせるんだけど、魔物が直接でてきて人を食うとかではなく、いろいろな不可思議な現象の裏に魔物の「気配」を感じさせるだけ。古本の匂い、雨の降る前の匂い、水の音、果物の匂い、ぬるっとした手触り・・・と、(日本ホラー特有の)視覚以外の感覚もじわじわ攻めてくる表現はさすがで、読んだ後はツタがピタッと脳にからんだように、小説のイメージがしばらく頭から離れない。ブキミなり。

「きつねのはなし」での「私」と「ナツメさん」のやり取りなどは、「夜は~」にはないエロティックな余韻もある(あからさまなエロじゃないよ)。夏目漱石の「草枕」の主人公と「那美」とのからみを想起させるけど、深読みしすぎかな。

ただ、「夜は~」と「きつねのはなし」にも共通する部分はある。
それは「縁」というものを軸にして書かれている、という点だ(邪推ですが)。

「縁」は英語だと「カルマ」という大げさな言葉になる。英語のクラスで「袖刷りあうも他生の縁」を英訳したときは、仕方なく「縁」の訳として「カルマ」を使ったけど、これは裏に輪廻転生という派手なコンセプトを感じさせる。この場合は、そんな大げさなものでなくていい気がする。偶然と呼ぶほど奇想天外なことでもなく、されど必然と呼ぶには当初の想定からだいぶ外れた出来事。人と人、人と物との出会いの中に、この偶然と必然の間の微妙な感覚に触れる― そういうのが「縁」だったりする。

「夜は~」は読めば分かるとおり、「私」と「黒髪の乙女」が、いろいろな縁で強烈な個性を持つ楽しいキャラクターたちに出会い、そのキャラクターたちに押し合いへし合いされながら話が進んでゆく。キャラクター・ドリヴンなストーリー展開だ。最後はメデタシメデタシな恋愛モノで、しめくくりも「こうして出会ったのも、何かの御縁」で終わる。

他方、「きつねのはなし」(プラス一連の収録短編)も、奇妙なモノのやり取り(「きつねのはなし」の物々交換)や、「胴の長いケモノ」との遭遇(とくに「魔」での展開)等を通して、気づかぬうちに異形の世界の者たちと出会ったり、憑依(?)されたりすることで話が進む。どちらかというとイベント・ドリヴンなストーリー展開なので、出てくるキャラクターの数や「夜は~」ほど多くない。こちらは普通はできれば避けたい「不吉」な「縁」で、かかわりあったがために不幸な目に遭うというもの。

「きつねのはなし」収録の「果実の中の龍」で、この「縁」に対してかなり直接的に言及している箇所がでてくる。

「こうやって日が暮れて街の灯がきらきらしてくると、僕はよく想像する。この街には大勢の人が住んでいて、そのほとんどがすべての人は赤の他人だけれども、彼らの間に、僕には想像もつかないような神秘的な意図がたくさん張り巡らされているに違いない。何かの拍子に僕がその糸に触れると、不思議な音を立てる。もしその糸を辿っていくことができるなら、この街の中枢にある、とても暗くて神秘的な場所へ通じているような気がするんだ」

「夜は~」で展開される「縁」は、なかなか楽しいものだが、「きつねのはなし」の場合は、「縁」がもたらすダークな側面が全体を覆っている。

自分では完全にコントロールできないのが「縁」だが、「きつねのはなし」の怖いところは、自分が全く気づかないうちに、その「縁」が実は誰かに―(天城さんに?ナツメさんに?)予見されているところだ。上で引用した文章で言うと「とても暗くて神秘的な場所」が、実は自分の今後起こる不幸な運命をあやつっているのではないか、という不安。一人称「私」で書かれているので、読者は主人公に感情移入しながら読んでいくんだけど、それまで意識的に行ってきたことには実は他の誰かの意図が含まれていた、と物語の終盤で気づくのがえらい怖い。それも、嫌な予感とか気配をだんだん濃霧のように充満させながらクライマックスまで持っていくのが非常にうまいもんだから、後味悪い悪い(笑)。

「夜は~」みたいなポップ・ファンタジーも好きだが、本作のようなホラーものも是非書き続けて欲しいな、と思う。あ、本作のBGMはASTOR PIAZZOLLAの「SUITE PUNTA DEL ESTE」なんかが宜しいかと。


[PR]

  by helterskelter2010 | 2010-03-29 01:50 | Books

Hank Paulson@U of Chicago

前財務長官のハンク・ポールソンがシカゴ大で講演。聞き手はChicago Booth教授で、元IMFのチーフエコノミストのRaghuram Rajan(Fisher Black Prizeも受賞している超切れ者)。

まあ最近出版されたこの本の紹介&宣伝なのですが、ミーハーなので講演をのぞきに行きました。
b0131315_1527478.jpg


ポールソン、見たらかなり老け込んでた。財務長官就任前と比べると、容貌がやつれている。元GSの鬼CEO(怖い話は沢山聞いてます。ちなみに顔はやはり怖いまま)といえど、あの金融危機への対応で神経も体も相当やられたのであろう。実際、あのころは連日のミーティングで睡眠もほとんどせず、常に吐き気を催していたという。

話を聞いた限りでは、本もなかなか面白そう。リーマンを初めから見限っていたわけではなく、バークレイズをはじめ買い手を探していたが、結局買い手がつかなった話とか、バーナンキとガイトナーと3人で協力して何とか法案を通そうと躍起になったいきさつとか、生々しい内幕が垣間見られる。

自分の失敗もいくつか認めていて、中でも「コミュニケーション・スキルが足りない場面もあった。GS時代とか、チーム会議とか個人同士のやりとりではうまく自分の考えを伝えられていたと思うが、Public に向けての俺のスピーキングは全くイケてないのはみんな知っているだろう?(ここで聴衆一同爆笑)。」政治家に対するアプローチでももっと工夫ができたはずだと自戒している。

まあしかし元IMFのチーフエコノミストに向かって「let me say this again so that you understand it」とか言ったり、ラストボスのような風格は健在。GS時代はシカゴオフィスに勤めていたこともあるポールソン、また機会あれば来て下さい。大物はどうもシカゴまで講演に来てくれることが少ないから(笑)
[PR]

  by helterskelter2010 | 2010-02-24 15:42 | Books

サリンジャー逝く

サリンジャーが死去。91歳か・・・思春期に読むと必ず自分の都合のよいように誤読してしまうという強烈な魅力を持つ作品群。「青臭さ」を青臭くないように表現するのに非常に長けた作家です。「ナイン・ストーリーズ」なんか好きだったな。ご多分にもれず、俺ものめりこんでアウトサイダーの道に危うく引きずり込まれそうになりました(笑)。藤村操的なペダンティズムが味わえる「テディ」とか。今度読み返してみよう。きっとまったく違う読後感を持つはず。

b0131315_633388.jpg

[PR]

  by helterskelter2010 | 2010-01-29 06:08 | Books

きつねのはなし

「夜は短し歩けよ乙女」で有名な森見登美彦の「きつねのはなし」が面白い。カンクンのビーチで読むのには適さない感じだが、森見氏の作品の中で一番好きになりそうだ。近日に感想文を書く予定なり。
[PR]

  by helterskelter2010 | 2009-12-18 12:16 | Books

フィッツジェラルド論②

b0131315_0373329.jpg


カネを持つこと・持たないことの悲劇、これは(小説「ハゲタカ」を持ち出すまでもなく)実に現代的なテーマだ。資本主義の極北に向かって走る米国で生まれた作家だからこそ書けたテーマかもしれない。米国に住むと良く分かるけど、本当にこの国は資本主義がむき出しになって人に影響し、都市を形作り、社会を動かしていることを感じる。もちろんそればっかりではないのだけれど、長い歴史・伝統(これもフィクションとしてだが)を梃子にスカした態度をとれるヨーロッパとは、やはり違う。「カネがある→金持ち→ハッピー」、あるいは「カネがない→貧乏→アンハッピー」、だとマンマなので面白くないから、小説や映像作品の場合、大体その逆をとって「金持ちだけれどアンハッピー」あるいは「貧乏だけれどハッピー」的な線で書かれることが多い。あるいは、「貧乏だけれどハッピー→結局金持ちになる」ていう苦節が報われるおとぎ話的な展開も少なくない。そしてその大半は面白くない話が多いですね、現実感&深みがないので。

フィッツは圧倒的に「金持ちになったけどアンハッピー」パターンが多いのだけれど、こんな通俗的な線で書いているのにその小説のクオリティは恐ろしく高い。俺は他に知りません、こういう作家。1920年代はカネを得て、あるいはさらに得ようとして享楽の日々を過ごし(カネだけのせいではなくゼルダ側の原因もあるが)妻ゼルダを実質的に失う経験をし、また1930年代はカネがなく不本意な日々を過ごして自分を磨耗させていったフィッツだからこそ、書きえたのか。

投資銀行でインターン中、いろんなシニア・バンカーと話をしたが、「カネのためにやっているんだよこの仕事」とはっきり迷いなく答えてくれる人もいてそれはそれでなかなか刺激的でした(笑)。たしかにもらえるカネは多ければ多いほどいい。そうに決まっている。でもそれはあくまでも「その他の条件は一定のまま」(よく経済学で使いますね)とした場合に限る。でもそれは普通、あんまありえそうにない。カネを稼ぐにはそれだけ働かなければいけないし、そうするとその分労働時間・ストレスも増えるだろう。そしたら家族のための時間とか、自分の健康とかに影響が及んでくる。カネだけ増やしてその他の条件は変えないままにする、というのはなかなか難しいことだ。また、カネを消費する側面だけから見れば、所得が増えれば増えるほど、カネを1単位ゲットできることで得られる効用は逓減していく気もする。年収500万円だったのが10万円アップで得られる効用に比べれば、年収1億円で10万円アップで得られる効用はやはり格段に小さいだろう。消費する使い道も限られてくるしね(妻はいくらでも使い果たせる、と豪語しているが・・・・)。もちろんカネでカネを増やす投資になると話は別ですが。

つまりはカネを持つことによるプラス面・マイナス面、光と闇、Pros and Consを自らの経験を通して鋭く洞察したところに、フィッツのすごさがあるのだなーと。あくまで一面から見た評価ですが。金持ちになったけど本当に好きだった女はゲットできませんでした、それだけで長編一本書いてなんて通俗的な作家だと思っていたけど、そこにはフィッツ自身の金持ちに対する憧れとコンプレックス(ちなみにここで言う金持ちは桁違いレベルの資産家を指す)が小説の登場人物たちに結晶化されているのだということに気がつく。それも金持ちの生活を捨てて修行僧みたいになって精神世界を追求する、というんじゃなくて、愛していた身近な女性を追い求める、というのがいい。その意味では後半そういう精神世界にぶっ飛ぶヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」は(すげえ好きだけど)やはりとっつきにくい。

そもそも何がプラス面・マイナス面なのか、何がPros and Consを分けるのかを描くにはそれらを評価するための判断基準が必要なわけだけど、それがフィッツの場合、女性に対する愛(とそれを通じた自己の回復)だったりしたわけで、そういう判断基準・信念を自分で明確に意識して一貫して作品に表現しきったところから、俺はフィッツは「慧眼の士」だと思うのです。どんな方向に進むにせよ、そういう自分の信念の軸=本質を見抜くことこそが、大変だけど大事なことだと、最近良く思います。まあフィッツは自分の信念の軸を意識しながら、それに反する道を歩んで破滅する人物像ばかり描いていますが。

そんな意味も込めて、Helter Skelter Jr.の名前には「慧」という字と、ミドルネームにFitzgeraldという名をつけていたりします。MBA友達には「リーダーシップを持てる人間ということで、元大統領JFKのミドルネームを拝借した」と説明しているけど(笑)。Jr.くん、いつかこの記事の意味を理解してくれると嬉しいんだがなー。それにしてもフィッツもJFKも死に様はひどいので、そこはマネしないてくれよ。

I'm tired of your crappy talk. Just gimme milk quick, will ya?
b0131315_0394337.jpg


少しでも面白い!と思われた方はポチッとお願いします!
ブログ王

[PR]

  by helterskelter2010 | 2009-10-15 00:42 | Books

フィッツジェラルド論① ―短編集「ベンジャミン・バトン」

Francis Scott Fitzgeraldは「慧眼の士」である。最近新訳の出た短編集「ベンジャミン・バトン」を読んで、その思いを新たにした(表紙がエドワード・ホッパーのNighthawksだぜ、これは卑怯だ。かっこよすぎる(笑))。映画化された(ブラピ主演)表題作につい注目しがちだが、映画と違ってこの原作はわりとあっさりした仕上がりになっているし、アイデア1本勝負な感じで、個人的にはあまり面白くなかった。もちろんフィッツジェラルド特有の苦味のある読後感はあるが。フィッツジェラルドがSFとかミステリーも沢山書いていた、ということを示す証左としては貴重かもしれない(そういうのはほとんど和訳されていないので・・・)。ちなみにこの本書の訳は、かなりよく出来ています。フィッツの文章は本当に訳しにくいのですよ。

b0131315_3252677.jpg


俺が感動したのは本書に収録されている「最後の美女(The Last of the Belles)」と「異邦人(One Trip Abroad)」。「最後の美女」は、第1次大戦期に南部の田舎町にやってきた主人公がその土地の美女のお嬢さんアイリーに恋心を抱きながらも、(当然(笑))成就しない話。アイリーは自分にべた惚れで一心不乱に崇拝するような男しか信じず、そんな男だけを「誠実」だと信じて疑わない。その一方で、特権階級であるものの、南部育ちの彼女は北部の男には軽く見られてしまうという皮肉。アイリーの奥底の心情を唯一理解している男でありながら、(それがゆえに)恋人・結婚相手とは見てもらえない主人公の切なさ。南部の田舎町でアイリーに恋した主人公の2年間がまさに主人公の青春であり、その青春が終焉したことを主人公がかみ締める形で小説は幕を閉じる。金持ちに対する屈折した感情、青春の終焉、コンプレックス、まさにフィッツの独壇場となるテーマがビシッと無駄なく表現されている傑作。

次の「異邦人」は、フィッツとその妻ゼルダの実生活をベースにした自伝的小説(あるいは初期の長編The Beautiful and Damnedの短編版)とでも言えるもの。法外なカネを手に入れた若夫婦が享楽的な生活を続けるが、最後は例のごとく絶望に陥るというもの(笑)。やっぱご当人が体験していることだけに、実に表現や設定がリアルで迫力がある。カネを持つことの悲劇がまたここで表現されている。

要はどれも超名作「グレート・ギャツビー」と「The Beautiful and Damned(なぜ和訳されん?)」のヴァリエーションといえばそれまでだが、こういう金持ちに対するコンプレックス、金持ちが持つコンプレックス、あるいは青春の終焉、といったテーマを書かせればフィッツの右に出るものはいないだろう。「グレート・ギャツビー」は中学生の時に初めて読んだが、正直、若い頃の俺にはよく理解できなかった。同じロスト・ジェネレーションなら、戦争体験を経た虚無感から逃れられないものの、「男らしさ(よく分からんけどコレも)」で乗り越えてやろうぜ、ていうヘミングウェイのほうがカッコイイと思ったし、カネを持つ・持たないに関わらずキリスト教のフレームを使って人間の本質を徹底的にえぐろうとしたドストエフスキーとかのほうが偉い(なんか深く考えてそう(笑))、とか思っていた。

でも、社会人になって何度か読み直そうと、フィッツのすごさが分かるんですなあ。美女を妻にめとり、1920年代にバブリーな享楽生活を過ごした彼にしか書けない絶望があり、しかもそこには時代を超えた普遍性がある。なぜならそれはカネを持つこと・持たないことの悲劇・喪失感、好きな異性に気持ちが通じない葛藤・切なさ、という多くの人が何かしらの形で経験した感情が描かれているからだ。そしてこういう感情は別にヘミングウェイの小説みたいに戦争のような異例の極限状況に参加していなくても分かるものだ。(ヘミングウェイにもフィッツ的なテーマを扱った「異郷にて」(短編)という超名作があるけどね)。「グレート・ギャツビー」はまさにそういう人間の本質と、実はフィッツが得意にしていたミステリー要素を融合させたとんでもない長編なのだ。村上春樹もかなりフィッツの影響を受けていて、「ノルウェーの森」でも登場人物の永沢さんが主人公に向かって言う「グレート・ギャツビー読んでいるヤツならまともだな」的な発言があるが、これには思わず無根拠に同感してしまいたくなるくらいだ。

少しでも面白い!と思われた方はポチッとお願いします!
ブログ王

[PR]

  by helterskelter2010 | 2009-10-14 03:29 | Books

STUDIO VOICE 休刊

9月号で休刊とのこと。高校~大学生くらいのころはかなりお世話になったなあ。文学・映画・音楽・アートを総合的に扱う、日本ではレアな雑誌だったし、サブカル特有の変態的な文章も好きだった(笑)。あるとき(2000年代)から、編集長が変わったのか知らんが、えらいツマンナクなったので読まなくなった。

音楽紹介、映画紹介欄を特に良く読んでいた。ロキノンみたいな感情的な思い込み垂れ流し文章ではなくて、同時代の他アーティストとの水平的比較、また過去の作品との時系列比較を踏まえた、なかなか高級な文章が読めた。「CD1枚でここまで語るか」ってのには、非常に影響受けたよ。

いまだとこういうメディアはネット媒体のほうが向いているのかもしれない。実際、WEB版もあるみたいだね。音楽紹介欄はないのかな。スタッフだけでは戦力不足というなら、むしろコアな音楽ファン、音キチガイなブロガーたちのコメント・批評を編集すると面白いかも。俺も協力しますよ(笑)。俺レベルでは不十分だと思うけど。とにかく、あんまオシャレにするとロクなことにならんわけです。

STUDIO VOICE、おつかれさま。

少しでも面白い!と思われた方はポチッとお願いします!
ブログ王

[PR]

  by helterskelter2010 | 2009-07-10 02:26 | Books

JHUMPA LAHIRI ジュンパ・ラヒリ ―「INTERPRETER OF MALADIES」

b0131315_0275611.jpg

ジュンパ・ラヒリ。インド人、ロンドン生まれ・アメリカ育ち。何と32歳にして、オー・ヘンリー賞(Third Prize)・ヘミングウェイ賞・ニューヨーカー新人賞・ピューリッツァー賞 フィクション部門を受賞。ピュリツァーだって?あのCormac McCarthy(No Country for Old Menで有名)が70代で獲った賞だぞ。ウムム。ラヒリ本人の写真を見ると、「顔セレクションあったんスかね」と疑いたくなる容姿。

b0131315_0362196.jpg

しかし本書「INTERPRETER OF MALADIES」日本での訳本はコレ)を読んでみると納得の出来。短編集なんだが、どの短編も恐るべき完成度で構築されている。それでいて文章は平易(O・ヘンリー同様)であり、現代文学にありがちなメタ構造や衒学的オシャベリといったギミックは忍んでいないので、日本人でも原文でイケると思う(是非英語で読んでください)。全体のストラクチャー、表現技法、テーマの捉え方、いずれも奇を衒ったものでないが、とにかく良く出来ている。

まずはストラクチャーだが、「短編はこれをお手本に構成を考えなさい」というべきか、そのまま文学部のテキストになりそう。短編ってのは短いので、壮大な起承転結を詰め込むのは難しく、前半(人物描写・コンテキスト設定)→中盤(物語の山、テンションの高まり)→終盤(オチ・驚きと余韻の効果)があればいい。説明に無駄があってはならないので、コレが難しい。本書の中では、タイトル作品「INTERPRETER OF MALADIES」の構成は特に光る。客である観光客女性(Mrs.Das)に勝手に好意をつのらせる観光ガイドMr. Kapsaiの勘違い目線で話が中盤まで進み、最後にはMrs.Dasとの2人きりの会話で驚くべき事実と思い違いが露にされる。「A TEMPORARY MATTER」でもそうだが、男が勝手に勘違いして妄想的に女性に描く思いってのを、ラヒリ女史は本当に良く分かってらっしゃる(笑)。

第2に表現だが、これもまた「一人称・三人称はこうやって使いなさい」とも言うべき使い分けのうまさ。ただいずれの場合も、ラヒリ女史の文章の特徴として、登場人物に過度に作者の思い・狙いを入れ込んでいない、微妙な距離感がいい。読んでいて登場人物たちを鮮やかにpictureできるんだが、その人物になりきるのではなく、その場面の証言者の1人になっているかのような感覚。ある意味、非常に映画的。映画的な見せ方としては、例えば場面展開(回想シーンへの移行など)は、登場人物たちが会話している画面から、カメラが部屋の中のあるモノにフォーカスを変えて、そのモノにまつわる登場人物の記憶を呼びおこす形で行う、等。映画同様、小説というのはワンシーンでも印象的なものがあれば御の字と俺は思っているが、本書ではそんなシーンが実に効果的にはさみこまれている。ついでに言うと、この人は「料理・食べるシーン」の書き方がウマイ。インド料理食べたくなります(笑)

最後にテーマだが、作中の人物は大体、アメリカに住むインド人、あるいはインド人と関係を持つ白人という風に、全てインド人がからむ。もちろんラヒリ女史がインド人だからというのもあるが、非常に身近な人をモデルにして日常生活の小さな事柄にフォーカスした形で書いている。このへん、日本人だがほとんどイギリス人?なカズオ・イシグロとは人物設定・テーマ選択が大きく異なる。表面だけとると、インド人移民1世と2世の価値観対立、アメリカで受けるインド人のカルチャーショック、伝統的な見合い結婚で生じる夫婦間の葛藤、といったテーマで押しているのかなと思えるが、そういうのは「私とは何者か」「他者と分かり合えるのか」といった普遍的なテーマを描くためのツールというか場面設定として使われている(ように見える)。もちろんそこにインド人であるラヒリ女史の独自性が見えるんだが。重みのあるテーマでも、日常生活の域をでない身近なイベント(停電の中、ロウソクをつけてディナーする夫婦、とか)を通して描かれるし、時にユーモアを含む優しい筆致で描かれるので、非常に読後感は良い。同様にシンプルな文章でありながらも、背後に救いようのない虚無感を感じさせるヘミングウェイの短編とは、また異なる。

どの短編もオススメだが、俺が気に入ったのは「A TEMPORARY MATTER」、「INTERPRETER OF MALADIES」、「SEXY」(女性の心理描写、子供の描写がヤバイ)、「MRS.SEN's」(ユーモラスかつほろ苦い。後の初長編Namesakeのネタの一部も見える)、「THE THIRD AND FINAL CONTINENT」だろうか。特に「THE THIRD AND FINAL CONTINENT」は、インド人でありロンドンで勉強し、アメリカで仕事を見つけた主人公(文字通り、3つの大陸をsurviveした)の境地に勝手に思い入れが強くなってしまった。俺もイギリスで少年時代をすごし、今また3つ目の大陸であるアメリカにいるので。100歳のおばあちゃんとのやり取りは、設定としてはかなりベタだがうまくやり過ぎないように抑えていて、ユーモアと切なさを感じさせる。頭の中に映像としてすごく鮮やかに残る作品で、たぶん映画にしてもいいモノになるだろう。最後のこの文章(勝手に俺が訳しました)に向けて全てが収束していく構成は、またしても完璧というほかない。感動しました。

「母国から遠く離れたところで成功を求めたのは私だけではないし、もちろん私がその最初の1人なわけでもない。それでも、これまで私が旅した道のり、口にしてきた食事、出会ってきた人たち、泊まってきた部屋のことに思いをめぐらすと、途方にくれてしまうことがある。どれも特別なことではないようだけど、どれも私の想像を超えたことのように思えるときがあるんだよ」

少しでも面白い!と思われた方はポチッとお願いします!
ブログ王

[PR]

  by helterskelter2010 | 2009-07-09 01:53 | Books

シュレーディンガー「生命とは何か」

b0131315_11315554.jpg


この本はヤバイ。文庫で200ページに満たない小冊子だが、ものすごい世界にトリップさせてくれる。自然科学の古典はほとんど読まないタチだが、これは今読んでも非常に刺激的。1944年出版なので、その後の科学の発展により、本書の中で提示される概念・説明のいくつかはobsleteになったり間違ってたりすることが明らかになっているが(それゆえ自然科学の古典はあまり読まれない)、それでも読むに足る本である。

その理由は2つあり、1つはいわゆる理系・理系志望の人なら必ず高校・大学で習う基本的な生物・物理・化学の諸原理を、非常に分かりやすく解説してくれている点。俺は文系(経済学部)だったし、通っていた私立高校では「文系志望」と決めた瞬間、2年目からは理科科目は1つ(生物)しかとっていなかった。なので物理・化学の知識は皆無に近い(これはこれで問題あるよな・・・)。そんな俺でも、シュレジンガーの説明によって、熱力学法則や量子力学の基礎概念を大体は理解できたし、既に忘却のかなたであった遺伝学の成果についても復習することができた。あんまり難しいのは、理系であり工学の修士号を持つ我が妻から教授いただいたが・・・

第2は、なんといってもシュレジンガーのダイナミックな思考過程を追体験できる面白さだろう。「自然科学、カコイイ!」と思える。関係ないけど、それに比べてやっぱり経済学は「憂鬱な科学」だよなあ・・・がんばって均衡論とか数学的に定式化して、体裁は自然科学の装いをして何とかかっこつけているけど、それも非現実的なムリのある前提条件を設定してうまくいくように作り上げているだけだし。経済学は経済学で、別のVALUEはもちろんあるんだが、やっぱガチの「科学」とは言いにくい。

話はそれたが、シュレージンガーのすごいところは学問領域を飛び越えて、「諸々の事実や理論を総合する仕事に思い切って手をつけ」ていること。理論物理学者でありながら、専門でない生物学(特に遺伝学)の分野に乗り込む。こういう「クロスボーダー」な試みは、口で言うのはカッコイイし、実際口だけの人がほとんだが、本当にやるのは非常に勇気がいること。その上シュレージンガーは、この試みの結果として分子生物学という新しい領域を開拓した。ハンパない。

「人間の体はなぜ原子に比べて大きいのか?」という問いから始まり、しばらくは生物学の観点から遺伝・突然変異の話をしていたかと思うと、今度は量子力学の考え方によって遺伝子の永続性を解き明かし、突然変異と量子飛躍とのアナロジーを示す。そして生命は「純機械的な行動をする体系」であり、物理の一般現象である「エントロピー最大の状態」を回避しようとしているのだ、と結論する。ここらへん、物理学で生命というものを説明するその語り口にクラクラしてくる。そしてこの生命の定義は有名な「負エントロピー」の理論につながり、そのままアクセルは踏みっぱなしで最終章ではウパニシャッド哲学の「梵我一如」の世界へトバされます(笑)。

実にスリリング!ロジックの展開もなるほど、という感じで勉強になる。訳者があとがきで「25歳のとき私は童貞だった」といきなりカミングアウトし、しばし性科学の話を数ページにわたって展開するのもウケた(笑)。岩波文庫の古典は相当読んだけど、この本もヒット。やっぱり古典はいいすね。「このシュレジンガーという男は、すごいぞ!」と興奮する、俺のあまりの理科オンチぶりに、妻はかなり呆れていた・・・・

少しでも面白い!と思われた方はポチッとお願いします!
ブログ王

[PR]

  by helterskelter2010 | 2009-07-07 10:20 | Books

M&A 最強の選択

b0131315_13371827.jpg


「M&A 最強の選択」。元GSのM&Aバンカー(MD)、そして今は一橋大学大学院教授、服部暢達氏の著。渡米して間もない頃に面接を受けた某投資銀行のM&Aバンカーの方から、「服部さんはすごい」という話を聞いていたので、本書を購入してみた。

この本は当たりだ。ちゃんと消化すれば、MBAのファイナンス科目(advanced course)の1つ分くらいTAKEAWAYがある。前提となる基本的なツールの説明にあまりページは割かれていないので、Coporation Financeの基礎知識がないと読むのはつらい。また、教科書的な説明ではなく、実際にあった、しかも最近のディールをケースとして扱っていくので、実にLIVELYかつ実践的。また、ケースは全て日本企業がらみ、しかもM&Aにかかわる税法・商法・会社法も日本にフォーカスしているので、その意味では米国のMBAでは絶対学べない内容だ。もちろん、日本の制度・慣習の特殊性を説明するときには、欧米のルールとの比較がきちっと整理されている。

ケースのタイトルを見るだけで、興味が引かれる。「ライブドアVSニッポン放送」、「UFJと東京三菱の大合併」、「産業再生機構によるカネボウ再生案件」、「スティールパートナーズによるユシロ化学・ソトーに対する買い付け」、等々。M&A、投資銀行業務に関心ある人であれば、間違いなく面白いはずだ。著者は現場の一線で活躍されてきた方なので、ディールの裏舞台を覗き見るようなナマナマしさがあり、かつプロとしての分析の鋭さにうならされる。「財務アドバイザー」ってのは、具体的に一体ナニをやる仕事なのか、いまだによく分からなかったが、その姿の一端が見えた感じだ。もうコレは立派なコンサルですね。法律の知識もかなり必要、ってのも良く分かりました(ヤバイ・・・・)。

でも、MBAのファイナンス・コースを受けてなかったら、本書の内容は俺にとってはかなりチンプンカンプンだったに違いない。バリュエーション方法論なんてのはさらーっと最初の数ページで終わらせて、ディールのプライシングというARTの世界に入ってゆく。そこでは、単純にエクセルをまわす話ではなく、税法、商法、会社法をにらんだ上で売り手・買い手にとっての最適な戦略論が展開されてゆく。とくに新会社法の下でありえる敵対的買収防衛策を列挙するあたりは圧巻。やっぱTAXの授業もとっといてよかったー。本書を理解できるまでになった自分にも感動(笑)。ライブドアの件の部分を読むだけでも、TV・新聞報道による分析がいかに薄っぺらいものか、分かります。

語り口も歯に衣着せず。未熟な裁判所による判断を「稚拙な議論」、村上ファンドを「金の亡者」と切って捨てる。惜しむらくは誤植が多いことか。俺のは初版だから、もう直されるとは思うけど、数字の間違いも数箇所あり、無意味に内容を読みにくくさせている。(例:p.173 5行目 「3,378-1,650」→「3,378→1,640」が正しい。p.158下から3行目の方程式もおかしい)。

しばらくゴミみたいな新書ばかりに当たっていたので、救われました。そして俺の腹よ、早く治っておくれ・・・

少しでも面白い!と思われた方はポチッとお願いします!
ブログ王

[PR]

  by helterskelter2010 | 2009-06-23 14:03 | Books

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE